今回は東京都新宿区に鎮座する「元赤城神社」をご紹介いたします。
元赤城神社とは
御祭神
・磐筒雄命
ご利益:殖産興業、厄難消除、学問芸術
御朱印
御由緒
当神社は現在新宿赤城元町16番地に鎮座する赤城神社を、はじめて勧請した旧跡の地で、正安2年(1290)9月の創建と伝えられる。
その後、160年を経て寛正元年(1460)太田持資が赤城神社を牛込台に遷すにおよび、里人神威を崇敬して、その跡地に小祀を建て、元赤城大明神と称していたが、明治初年元赤城神社と改名した。
昭和20年5月25日戦災により、境内建物等いっさい焼失した。
※東京都神社名鑑より
元赤城神社へのアクセス
赤城神社の最寄り駅は東京メトロ東西線の「早稲田駅」。
歩きだと10分〜15分程度かかります。
元赤城神社の境内
こちらが元赤城神社の鳥居。
住宅街の中に鎮座している小さな神社です。
正面に手水舎があります。
拝殿前の狛犬。
阿像の方は漫画に出てきそうなデザインですね!
吽象の方も子供の表情が凛々しすぎる(^ ^)
こちらは戦前の狛犬。
顔と腕がなくなっています。
案内によると空襲の猛火で剥がれ落ちてしまったと書かれています。
御由緒によると戦火で全て焼失してしまったとあるので、残ったのはこの狛犬だけなんでしょう。
当時の記憶として残されています。
こちがら拝殿。
昭和53年9月に本殿・社務所が創建されています。
田島森碑。
これは一体何の碑かと言うと。。。
案内がありました。
田島森碑
昭和6年に、赤城神社の旧地である元赤地神社境内に建立された記念碑で、中世に大胡氏(牛込氏)が牛込の地に移住し、故郷の赤城明神を祀ったという神社の起源と「田島の森」と呼ばれた当地の歴史を記す。
元赤城神社の後記
小さな境内ですが、最初に勧請されてから約800年ほどの歴史がある神社。
戦火で全てが焼失してしまったのは残念ですが、当時の狛犬が残っているのは貴重ですね!
赤地神社が神社再生プロジェクトによって現代的に蘇っているのとは対照的です。
神崎の牛牧
狛犬の裏には「神崎の牛牧」という案内がありました。
神崎の牛牧
文武天皇(701〜704)の時代、現在の東京都心には国営の牧場が何カ所もありました。
大宝元年(701)、大宝律令で全国に国営の牛馬を育てる牧場(菅牧)が39ヵ所と、皇室の牛馬を潤沢にするため天皇の意思により32ヵ所の牧場(勅使牧)が設置されましたが、ここ元赤城神社一帯にも菅牧の牛牧が設けられました。
このような事から、早稲田から戸山にかけた一帯は、牛の放牧場でしたので、「牛が多く集まる」と言う意味の牛込と呼ばれるようになりました。
牛込には乳牛院という牛舎が設置されて、一定期間乳牛を床板の上で飼育し、乳の出が悪くなった老牛や病気にかかったものを淘汰していました。
時代は変わり江戸時代、徳川綱吉の逝去で「生類憐みの令」が解かれたり、ペーリー来航で「鎖国令」が解けた事などから、欧米の文化が流れ込み、牛乳の需要が増え、明治19年の東京府牛乳搾取販売業組合の資料によると、牛込区の新小川町、神楽坂、白銀町、箪笥町、矢来町、若松町、市ヶ谷加賀町、市ヶ谷仲之町、市ヶ谷本村町と、牛込にはたくさんの乳牛が飼われていました。
東京都心に国営の牧場が何カ所もあったなんて今では考えられないですし、牛込の地名もここから来てるんですね!
勉強になりました(^ ^)
元赤城神社の詳細
創建年 | 正安2年(1300年) |
御祭神 | ・磐筒雄命 |
主な祭事 | 9月19日:例大祭 |
御利益 | 殖産興業、厄難消除、学問芸術 |
住所: 162-0041 東京都新宿区早稲田鶴巻町568-13
交通:
・東京メトロ東西線「早稲田駅」より徒歩10〜15分